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  • 🌸 お彼岸に寄せて — 浄土真宗の教えから

🌸 お彼岸に寄せて — 浄土真宗の教えから  

春と秋の年二回、私たちは「お彼岸」のご縁にあずかります。お彼岸とは、仏教における「彼岸(ひがん)」—すなわち迷いのない悟りの世界—に思いを寄せる期間です。私たちが生きるこの世は「此岸(しがん)」と呼ばれ、苦しみや悩み、迷いに満ちた世界です。お彼岸は、亡き人を偲びつつ、自らの生き方を見つめ直す大切な機会でもあります。

浄土真宗では、私たちが自力で悟りに到ることはできないと教えます。これは、単に努力が足りないという意味ではなく、人間の根本的な迷いや煩悩が、悟りへの道を妨げているという深い認識に基づいています。

たとえば、濃い霧の中で山頂を目指す登山者を思い浮かべてみてください。地図もコンパスも持たず、目の前の道すら定かでない状況では、いくら歩いても正しい方向に進んでいるかどうか分かりません。むしろ、知らず知らずのうちに危険な崖へ向かってしまうことさえあります。

私たちの人生もまた、煩悩という霧に包まれた登山のようなものです。自分の力だけで悟りの境地に至ろうとしても、道を誤ることがある。だからこそ、阿弥陀如来は「すべての人を救いたい」と願いを立てられ、その本願によって、私たちを確かな道へと導いてくださるのです。

この教えは、私たちが阿弥陀如来のはたらきに身をまかせ、念仏を称えることによって、迷いの世界から悟りの世界へと導かれるという、他力の救いを表しています。

「南無阿弥陀仏」と称える念仏は、私たちの力によるものではなく、阿弥陀如来のはたらきによって称えさせていただくものです。念仏は、阿弥陀如来の慈悲に気づかされる「目覚め」であり、私たちの心に安心と感謝をもたらします。

お彼岸は、単なる年中行事ではなく、阿弥陀如来の願いにふれ、浄土に生まれる身としての自覚を新たにする仏縁のときです。亡き人のご縁を通じて、今を生きる私たちが仏の教えに耳を傾けることこそ、真の供養であり、仏道の歩みであるといえるでしょう。

親鸞聖人は次のように述べられています。

【念仏は、称える私のはたらきではなく、称えさせてくださる阿弥陀さまのはたらきである。】

このお彼岸が、皆さまにとって阿弥陀如来の本願にふれる尊いひとときとなりますよう、心より願っております。